戦争体験者の声

2015年7月13日(月) 先の戦争の話をうかがう

2015年07月13日

 ひやま隆です。本日は、現在、中野区にお住まいで戦争体験者のMさん(仮称)に、先の戦争に関するお話を伺いました。Mさんは、昭和3年生まれの87歳。旧制高等女学校在学中に、日本は対米戦争に突入します。戦時中、Mさんは勤労奉仕団の一員として東京第2陸軍造兵廠板橋製造所に勤務していました。四国地方にある軍事施設からの極秘文書の写しを書くことが主なMさんの任務でした。
 昭和20年4月13日、330機のB29が飛来し、神田区、豊島区・渋谷区・向島区・深川区、淀橋区、小石川区、四谷区、麹町区、滝野川区、赤坂区、牛込区、荒川区、板橋区、中野区、王子区(現在の北区北部)、足立区、本郷区、下谷区、葛飾区、日本橋区、杉並区、江戸川区、城東区、浅草区を中心に東京は大規模な空襲に遭います。死者2459人、焼失17万1370戸。城北大空襲とも呼ばれるこの空襲により、Mさんも自宅を焼失しました。そして、同年8月15日、勤労奉仕で勤務していた陸軍造兵廠の庭で玉音放送を聞き、終戦を迎えました。
 戦後70年を経た今、Mさんは当時を次のように振り返ります。(Mさんのメモを原文のまま引用)
 「満州事変・日中戦争・㐧二次世界大戦と朦朧と生きた歳月でした。」「戦後70年に成りますが人間として此の頃の世相に戦前時代の不安定を感じてます。」「婚約者は野戦病院で飲水が欲しいと言って逝ったそうです。」「心の傷は消えません。」